インド佛跡巡礼帖
平成21年2月16日〜24日
お釈迦様の聖地と色々な話題帖

第1巻


霊鷲山の日没A




 霊鷲山からの日没の瞬間です。
こんなに最後まで綺麗に見られるのも珍しいとか。添乗員さんも何度となく来山しているのに綺麗でしたと感心されていました。

 雨期になればこんな絶景は見られないでしょう。山からの水蒸気などなど気象条件があるでしょうからなおさらです。

 画像下は、山頂の法要した所への上道ですが今は使われていません。崩れて別ルートとなっていました。ここから登られた和尚さんもあるでしょう。

霊鷲山の日没




 霊鷲山からの日没です。
法要後、少し時間を待ち日没を拝みました。絶好の天候とロケーションです。絶景かな絶景かなです。

 色々な日没見ましたがお釈迦様の聖地からの日没は最高です。
太陽が完全に沈むまで山頂にしばし滞在し最後まで日の入りしてから下山しました。

霊 鷲 山




 霊鷲山は、お釈迦様が晩年に弟子たちに説法をしながら過ごしたという山です。
お経にもその名が度々登場します霊鷲山は山頂にある岩が鷲が羽を広げた形に似ていることから名付けられたとされます。

 お釈迦様が、この山頂に坐り下にいる弟子達に説法したと伝わります。確かに背に山があることから声がこだまして下に聞こえたのでしょう。
参道には今も石窟があり弟子達が瞑想されたと言われます。

 参道は、ビンビサーラ王がお釈迦様に参拝するために頂上まで作らせたという道です。この石畳は「ビンビサーラ王の道」とばれます。
ゆるやかな坂道で20分程で山頂まで登れます。山頂からの景色は絶景です丁度夕日が沈む頃で夕日が綺麗でした。

 多くの参拝者がありましたが、ここで法要を行いそして10分程坐禅しました。
時代は違うものの同じ空間にいると思うと感無量です。

 画像上、ご覧の様な岩山です。茶色の岩と違いここは花崗岩系の岩が多いです。
 画像下、お釈迦様が説法されたという場所はレンガが積んであります。参拝されているのはチベットの僧侶のようです。

 山頂には自称、僧侶という人が居て、指示したり掃除したりして管理しているようです。お賽銭置くところに1万円札が置いてあったのにはある意味驚きです。

霊鷲山へ




 18日午後4時30頃に麓に到着、事前に申し込まれていた数人は籠(画像下)で往復されました。
正直、利用したかったのですが記録担当ゆえ我慢して写真撮影に没頭していました。

 しかし、参道は整備されていて登りやすい道でしたが、しかし物売りの人が多く又往き帰りぴったりマンツーマンで同行と商魂たくましいものです。
「いったいなんぼ何」と言いたくなるほどです。無視続けると捨て台詞を言ってどこかへ私には「カワニシ!」と聞こえたのですが。なんでしょうか。

 夕方近くなので日も傾きかけ日和も良く絶好のロケーションです。
また、チベット仏教徒やタイからの巡礼者と一緒になりました。参道にはお猿さんが出没していましたがおとなしく大事にされているようです。

 ご覧の旗はチベット仏教徒がとりつけたもので旗には教典が書いてあります。
たなびけば教典をとなえたこととなるそうですから、ありがたやありがたや。まだまだ続きますが日没は絶景、感激でした。

地元の菓子


 何て書いてあるのでしょうか?お店の名前でしょうか。

 個のお菓子、「ガジャ」といいます。意味は「食べてって」という意味だそうです。ナーランダ仏教大学跡からラジキールへ戻る途中のガジャ村と名前のカジャで、街道名物のお菓子です。ガイドさんが買ってくれました。
甘カジャと塩カジャがあります。夕食時食べましたがパイ生地を油で揚げたようなお菓子です。

 甘カジャは、シロップにさっとくぐらせたもの、塩カジャは塩を振り掛けたものです。
両方とも賞味しましたが少し油が多く、カロリーオーバーですね。

 ご覧の様な風景で販売していますが、ケースもなくそのままですからホコリや衛生面が気になるところです。
気にしない気にしない。

 カジャだけに、食べる時はガシャガシャと音していました。

ナーランダ大学跡B


 仏像の足部分だけが残ります。
遺跡とは言え屋根はトタンです価値ある遺産なのですが、これもインドならではでしょうか。中には入れませんでした。

 当時はここに仏像があり多くの人が礼拝されていたのでしょう。

ナーランダ大学跡A




 続きですが、僧院の跡です。
大きな僧院だったのが分かります。画像下、これがベットだったのでしょう。モデルの和尚様ありがとうございます。

 

ナーランダ大学跡




 18日の昼食後にナーランダ仏教大学跡に見学に行きました。
有名な、玄奘三蔵法師もここで6年間滞在して仏教を学んだという大学です。とてつもなく広く一つの街のようです。

 今でも発掘すれば遺跡が発見されるでしょう。
当時はここに数百人の僧侶が学んでいました三階建ての僧院跡があり当時の繁栄をかいま見ます。
また大仏像の足下だけを見ました想像すると相当大きな仏像だったのでしょう。

 画像下にある丸い盛り上げられたものはミニ塔でお墓でのようですがお墓ではなく、施主が供養的な意味、敬意を表す意味で建てられたものだそうです。
他の遺跡でもよく見ました。

 説明の看板はインドの文字と英語がありましたが分かりません、読めません。
遺跡はレンガです木造部分はありませんが僧院は個室が多く高僧(指導的僧侶)の部屋を囲むように並んでます。瞑想したりして修行していたのでしょう。
ここでもタイやミャンマーなどからの巡拝団体が訪れていました。日本人観光客とは出会いません。

 次はいよいよ霊鷲山です、天候もよく日の入りをめがけて登りました。

七重の牢獄跡




 2月18日の竹林精舎へ行ってから昼頃、観無量寿経の舞台となったビンビサーラ王の牢獄跡へ行きました。
マガタ国の国王を七重の壁で投獄したその跡です。

 確かに壁の跡が何重かは確認出来ます、投獄された中心あたりは大変狭く独房のようです。畳、1畳か2畳分しかありません。
ビンビサーラ王が息子のアジャータシャトルに幽閉されて投獄されたのです。お釈迦様に謀反を起こそうとした弟子のデーブァダッタがアジャータシャトルをそそのかし、父親を幽閉することを進めたのです。そして実行し王はここで死を向かえたと言う事です。

 息子のアジャータシャトルはのちに自分が間違っていたことに気付き、父親同様に仏教の普及に力を注ぐようになりました。
他にも数々の物語が残ります。(市販の旅行ガイドブックより)

 画像下、遠くに見える山の右端辺りが「霊鷲山」となります。いよいよお釈迦様が説法された聖地です。

 その後、宿泊地の法華ホテルに行き少し遅い昼食となりました。

竹林精舎A


 竹の花です、花も枯れているようですが丸いぼんぼりのような花です。
日本の竹とは随分違うようです、日本の孟宗竹などの花も見たことがないですがやはり花が咲けば枯れるんですね。

 「所変われば品変わる」ではありませんが色々な所で色々な物があるものです。
花も色々な種類がありました。

竹林精舎




 ラジキールに到着、お釈迦様のころにはマガタ国の首都として栄えていました。国王のビンビサーラは仏教に帰依しお釈迦様と弟子達が修行出来るにようにと、この土地を寄進したのが竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)なのです。

 ご覧の様に竹が植えられています。
日本の竹とは大違いです、まとまって生えています。丁度、花が咲き枯れて所々植え替えられるのでしょう伐採されていました。

 この竹は、今から60年前程に日本からの援助で植えられたそうです。
それに花が咲き枯れていました。竹といっても肉厚ですし細いわりに重いですね。ほんの少し切り捨てられいた竹を管理の方に許可もらい頂きました。これで、茶杓でも作る計画です。

 お釈迦様が修行された地の日本からの援助で植えられた竹だけに価値ある竹でしょう。舎内にはお釈迦様が水浴びそれた池もありました。
花も綺麗に咲き管理されています。

 出入口を出入りするたびに、物売りの人や子ども達が群がります。何処の聖地、観光地へ行っても同じですがこれを振り切るのがなかなかです。
子ぢも達はほとんどが裸足ですし、汚れた服です。胸が苦しくなりますがガイドさんから注意を受けていたので無視するのが苦しいことでした。
目がキラキラしていたのが印象的でした。

 次の目的地へ向かいました。
ラジキールの宿泊は、ホッケ(法華)ホテルです日本的なのでホットしました。大浴場もありましたし畳で布団引いて寝れます。

王舎城跡




 ラジキールへ向かう途中に、王舎城跡の南側の城跡を見ました。
路上駐車してしばしの見学です。城とっても城壁です。万里の長城ではありませんがご覧の様に壁があります。

 赤茶色した石の岩山が広がります。木があまりません広大や岩大地が広がる光景です。昔は繁栄したのですから凄いですね。

大 地




 画像上、インドの大地です。
木もありますがこのような赤茶色の大地が広がります。石も場所によりますが同じような色です。建物も赤砂岩?が多いです。

 今回行く所は田舎で農村部ですから貧しい地域ですからレンガの家が多いです。レンガの家なら良い方で所によっては、屋根はヤシの葉、バナナ葉の所もありました。
ガイドさんの話では、場所や家に執着しないということです。

 画像下、牛くんです。右の牛は背中に瘤があります瘤牛?だったでしょうか。牛を大切にするインドですから至る所に居ます。
野良牛、野良犬、野良豚、野良クジャクなど野生あふれた国です。基本的に牛肉はありませんし食しませんからホテルでもありません。
チキンカレー程度ですからヘルシーですがスパイスのきくカレーはなかなか癖になります。ヘルシー的と言えるかも。

 農村部はまだまだ牛くんが活躍しています畑を耕していましたし牛車が目立ちます。
荷物満載して牛が引く光景をよく見ました。
この瘤、荷台引くには好都合のようです荷台の棒が引っかかりやすく引きやすいように思います。

 道の沿道にある木々は色々ありますが勝手に伐採してたり、所々切り取り薪にするとかで政府管理の木にはペンキで白赤に根元付近にペイントされてます。
大事な燃料の木なのですが農村部は牛糞を乾かし燃料にしています。丸形から四角と場所によって違いはあります。
乾かす為に家の壁などに貼り付けてありました。

 聞くところによると、牛糞はジワジワ燃えて便利とか。
ご婦人がこねて貼っていました、農作業も女の人がしている光景をよく見ました男の人は働かないのでしょうか。主人はチャイ(紅茶とミルクたっぷりの煮出した甘い紅茶)飲んでるとか(ガイドさんの話)

 佛跡のお話もですが、他の話題も交えてお伝えいたします。

道中色々




 竹林精舎への道中ですが数時間かかりますが何度かトイレ休憩などしながら行きますがドライブインなど言うような所はありません。
トイレは青空で大地がトイレですこれはインドの定番です。

 乾期と言うこともありますが大地は赤茶色した大地が広がり乾燥しています。
途中、橋が壊れているので迂回ルート、道なき道を行きます。バスは大きく上下左右に揺れます。土煙は上がりもんもんとしています橋は何時修理されるのか予想がつかないとか、これもインドならでは?

 画像下は鉄橋です、これでどのような道を通っているかお分かりとは思いますが雨期で川に水があればどうするのかと思います。
しかしドラバーさん上手ですね、こんな悪路すいすい平然として運転していました。

尼蓮禅河


 2日目の2月18日(水)いよいよ長旅バスでの出発となりました。
最初にですが、観光バスは日本と乗りこごちは違いますが新車でした。昨年のテロ事件以後日本からの観光客が激減で新車となったとか。

 バスはデリーからの配車、運転手と助手もデリーから来ています。
運転手はなかなかな腕前です、あの道、あの人混みを運転するのですから凄いです。また全行程一緒ですが、寝泊まりはバスの中と聞きましたが本当かなと思いました。日本なら考えられません。

 さて、画像は「尼蓮禅河」(にれんぜんが)と言う川です。
ホテルを出発してしばらくして通過しましたがしばしバスを止めて観光というか下りて見ました。川と言っても今は乾期で水はありません。掘ると水がジワジワしみ出て来ていました。橋がないので歩いて渡るのでしょう足跡がありました。

 お釈迦様が身を清めて修行に入ったとされる河です。
対岸は遠く見えません、遠くに霞んで右はしに見える山は「正覚山」という霊場です山と言っても岩山だそうです。

 次の目的地へのラジキールまで100qの道のりです。

数珠店




 佛跡の番外編ですが、ガヤで宿泊した「スジャータホテル」ですが1階にも小さな売店があり数珠などのお土産物がところせましと展示してあります。

 その本店へ行き物色中なのがご覧の画像ですが、この店はホテルの前身なのです。
日本からのお土産に数珠作りをはじめ販売したのがきっかけで商売をはじめ今ではホテル経営、日本に支店のインド料理店を開店するまでに生長しています。

 観光客相手に相当儲けたのでしょうか。
数珠の仕上がりは上出来、紐は日本から取り寄せているとか。最初の値段は日本とそんなに大きな違いはないのですが、出発時間が近づくにつれ、まとめ買い等するにつれて値段も下がり、そこは交渉です。
インドでは値段交渉は定番のようです。お土産物店だけですが一般の店などでは通用しません。

 数珠定番の金剛菩提樹は勿論のこと琥珀、玉、清月菩提樹などなど色々な数珠がありました。腕輪数珠もありましたからまとめ買いしている方も、交渉されてました。
「はい、出発5分前価格!」と添乗員の○村氏の声も応援となり大きな味方となっていました。

 やはり、べてらん添乗員さんは強気です。トラブル等があればそのお店に案内しません。今回も以前にトラブルがあったシルク店に2年ぶりに来店、入店する前に何やら念押しがあったようです。
言い値で買ってしまう日本人は格好の相手だけに添乗員さんは心強い味方です。

 この数珠店の店員さん全員日本語しゃべれますが特に達者な社長の息子さん?であろう人、京都外国語大学卒業といいますから凄いです。
聞いた話ですが、つけで買っても日本に仕入れに来ましたからとお寺に集金に来られるとか、他の店でしょうが商魂たくましいことです。

 裏話のようですが、楽しみいただけましたか。

日本寺参拝




 インド2日目の18日(水)、ホテル室内で蚊に刺され目が覚めました。日中は暑いのですが朝は冷えます。半袖では寒くフリースをはおりました。
インドの朝は寒いです。

 早朝、近くの印度山日本寺に参拝しました。
日の出前で参拝中に朝日が差してきました印度での初日の出です。丁度、輪番の和尚様がおられたので読経、坐禅後に説明を聞きました。
現在、宗派を問わず若い僧侶が3人在中されていますが、何とその中に臨済宗の若手和尚さんが居られ話を聞くと何と、虎渓僧堂の会下(もう遷化されてます)さんの甥ごさんでした。今月末までの在住と言う事でしたが誰か希望者があればとのお誘いもありましたが、若ければ来ていたかも。と思いました。

 若い時期にしか経験出来ないことです。息子が行きたいと言えば行かせたいと思いました。良い経験出来るでしょう、お釈迦様の聖地近くに在中できるのですから凄いことです。境内には保育園、診療所がありますが総て無料です。

 印度でも貧しい地域です診療所には早朝から行列が出来ます。遠くは20qも離れたところからやって来ると聞きます。
また教育の受ける事が出来ない子供達が多く、そのために保育園があります。菩提樹学園といいます毎年200人からの受け入れとのことです。
園舎は(社)日本仏教保育協会によって建設されました。約、100名の園児の1日の食事代が2.000円だそうです。少し前の事とは言え恵まれた日本では考えられない事です。

 診療所は、光明施療院といいます。建物は(社)日本仏教婦人連盟および全日本仏教徒婦人代表委員会によって設立されました。
多くの善意で建設されています今でも浄財は募集中です。

 本堂内の壁画も善意が多く、画像下で一部見えてますがお釈迦様の一代記は本画家・岩崎巴人画伯の筆による寄進です。
その他の天井画も寄進ですし鐘楼の梵鐘は松下幸之助氏よる寄進です。

 後になりましたが、日本寺は1947年に独立したインド連邦共和国初代首相J・ネルー氏による「釈尊ご成道の聖地ブッダガヤに国際仏教会社を建設し、数次の世界戦争を経験してきた人類の末永い国際融和と平和の拠点としょう」との提議の推進を決議したインド政府による各国への呼びかけにこたえて応えて、日本仏教諸宗派ならびに各総大本山が超宗派で結成した社団法人・国際仏教興隆協会によって1973年に設立され運営されている超宗派のお寺で、宗務主管者は各宗派輪番となっています。 

スジャータ記念塔




 大精堂から再びバスに乗りお釈迦様が沐浴された「尼蓮禅河」(にれんぜんが)を渡り直ぐの所にスジャータと言う名の女子がいた村、セーナニ村に作られた記念塔を参拝しました。
ご覧の様に塔と言うより丘のようですが昔は仏塔がそびえていたのでしょう。

 お釈迦様が大悟されやれ細った身体で最初に口にした食べ物が、乳粥です。それをさし上げたのがスジャータ嬢です。
皆様はこの名を聞きある物を思いだたされる事でしょう。そう、「コーヒーにスジャータ、、、」のあのメーカーというか品物です。
これから名付けられたのなら凄いですね。

 ちょうど夕方で日没でした、インド最初の日の入りでした。
尼蓮禅河越しに大精堂に沈む夕日は見られませんでしたがインドの大地に沈む夕日はなかなか幻想的でした。

 言うまでもなく舗装もしてない記念塔付近です乾期と言う事もあり土煙が目立ちます。丁度、バスに帰る時に放牧の牛がどどっと帰ってきましたが土煙がもんもんとしていました。インドの田舎風景です。

シンボル


 大精塔の境内というか回りは色々な建造物があった遺跡となっています。
再建されているものもありますが色々な仏像も出土していますが、ご覧の塔もその一つあいにく添乗員さんの説明を聞いたのですが、右から左状態となりましたもう訳ありません。

 シンボル的に建てられた塔ですが、上には日本で言う神社で見るこま犬のような彫刻があったそうです。
トラだったでしょうか。参拝者が触り下の方は黒光りしていますし、金色は金箔ですがこれはスリランカからの参拝者が貼られるとか。

大塔内


 大精堂内での法要の様子です、法要後はご詠歌もおとなえしました。
画像中央当たりにある光る箱は賽銭箱のようです塔内は意外と狭く丁度、別団体の参拝が終わりスペースが開いたので座って法要しました。

 初めて見る日本人僧侶らしき我々に興味津々の方が出入り口付近で見ていました。
ここでもですがこれまでに私達以外に日本人の観光客には出会いませんでした。やはり昨年秋のテロが影響しているのでしょう。

ブダガヤ大塔A




 画像上は、大塔の裏にある聖大菩提樹の所で記念撮影しました。
この場所で法要後数分間坐禅しました。時代は違うもののしばしお釈迦様と一緒の空間を過ごした気分に浸りました。

 言うまでもなくお釈迦様が難行苦行の坐禅修行を一週間去れ8日目の明け方に明星を見られて大悟された場所です。
現在でも12月1日〜8日未明に朧八大接心として僧堂では不眠不休の坐禅三昧修行を行います。
菩提樹は当時から4代目と言うことでした。

 お釈迦様が座れたという場所は金剛宝座として仰がれていますが今では厳重にされ入れません。聞くところによるとあの事件で有名となった宗教団体のひげズ面の教祖が座ってから厳重にされたと言うことです。

 回りは大理石です土足厳禁ですが乾燥しているのでひんやりして気持ちの良いものでした。菩提樹の回りは色々国の人が読経していました。また坐禅して瞑想している人も多くいました。言葉では表現出来ないような荘厳な空間となっていました。

ブダガヤ大塔




 いよいよ最初の聖地、ブダガヤ大精堂に参拝しました。
お釈迦様は、カピラ城主釈迦族の王子してご誕生されました。29歳で出家され難行苦行されること6年間、尼連禅河(にれんぜんが)で水浴、苦行のためやせ細っていた所スジャータという名前の少女から乳粥をもらいブダガヤ村の木下で大悟されました。

 その地の大塔なのです。この裏には4代目となる菩提樹の大木があります。
入り口で靴を脱ぎ、裸足または靴下での参拝となります。
近くから見えていたものの正面に来れば荘厳な塔がそびえ立ちます。観光客や巡礼者が大変多く、またお土産売りの人がぴったりと寄り添いセールスします。事前の知識でしっていたものの、「社長1000円」・「先生、、、、」と達者な日本語の嵐です。無視すると段々値が下がり、いったいいくらの価格かと思います。

 腕一杯に数珠を下げた人、菩提樹の葉、大精堂の模型のような物等々ですが無視すれば最後は罵声のような声で去る人など様々でした。
中には困り言い値で買う人もあったようですが日本人は何処の国行ってもターゲットですね。

 塔内は狭いもののお経をとなえている人、瞑想している人等がいましたが法要して御詠歌あげました。
狭いながらも少しのスペースを少し占拠したようですがお釈迦様が大悟された聖地ですし、今も続く12月8日の成道会の法要の根拠となった地だけに現在でも脈々と続くお釈迦様の教えを垣間見るようでした。

 大塔の回りは世界からの巡礼者が大変多く、タイ、ミャンマー、スリランカなどです。またチベット仏教徒の拡声器を通して聞こえてくる読経は独特ですが心に響きます。
又所々には欧米人の坐禅姿も見られました。

 参拝も終わり見て歩いて帰る時には、日差しも傾き光線が大塔を照らします。何とも荘厳な雰囲気です。
思い切ってこの巡拝に参加できたことに感謝し、待っていたかのような太陽のライトアップに感激、大悟とはほど遠いものの、こころ感じる瞬間でした。

 大塔は最初、画像上の立ち位置ぐらいまで埋まっていたそうです。異教徒からの破壊を恐れで埋められたとか。
労力というか信仰心の深さを実感します。

 建造物の多くは茶色というか赤色系の砂岩や大理石が使われていますが凄い建造物です。
まだまだ続きますがこの辺りで話の内容が、ないようになるので終わります。

ガヤ空港




 17日、バンコク空港12時10発の便で一路、インドはガヤ空港へ向かいました。
いよいよインド、3時間ほどのフライトです。
バンコク空港では広いのでくたびれましたが、免税店などを物色(帰りに寄るのでその時に)等してのんびりしてたら手荷物検査で時間がかかり少しあせりました。

 ズボンのベルトも外す徹底ぶりです。ここでも欧米人系の人はチェックに時間がかかります何度も再検査されていました。
お国柄でしょうか。

 さて、インド時間(時差、日本では−3時間30分)午後1時30分過ぎに無事到着しました。
ご覧の様なローカル空港、歩いて建物へ入りました。
添乗員の○村氏が先週に来ていたと言うことで、話はしておいたと言う事で入国検査は団体受付のようなもので楽に入国、しかし荷物はなかなか来ません。手作業でした。

 この空港、インド国内にありながら国際線のみでしかも1日、2便の就航とか。
国内線がない不思議な空港です。結局、1時間ほどかかりましたがバスに乗りブダガヤへ一路スジャータホテルに向かいました。

 空港下りて感じましたが、日差しは強いものの乾燥していてからっとしています。
日陰は涼しく長袖でも汗が出ませんタイとは違う暑さです。乾期の時期と言うこともありますが夏になれば50℃近い暑さになるとか。

 ホテルで法要の準備をして最初の聖地、ブダガヤ大精堂へ向かいました。続きは後日、お楽しみに。

水上から




 少し画像が大きくなりましたがPCの画面で乱れていたらスミマセン。
16日の朝、パクナム寺へ行った後に少し時間があると言うことで水上から見える風景を観光しました。

 暁の寺です。輝いて見える色彩はタイルが張ってあります。
舟から上がって拝観とはなりませんが船上からの観光となりました。水路の方が混雑せずと言うものの舟の通過は多く波で揺れます。べてらんの船頭さんたくみに波をよけていました。

 地元の人が乗るような舟は小型ですが、車やトラックであろうエンジンにスクリューを付けてた舟です。
排気ガスの黒い煙が出ていました、これもお国柄でしょう。環境問題、エコドライブとはほど遠いものでした。

 水面に浮かぶ草は、ホテイアオイです。タイではどのように呼ぶかは知りませんが暖かい国へ行くと植物や特に花は綺麗ですし、色々な花があり見るのも楽しみの一つです。
タイの話題が続きますが、トランジット地で少し観光が出来ました。

 当初の日程なら、バンコク空港に16日、早朝に到着し昼のガヤ行きの便が出るまでの6時間を空港で過ごす予定でしたからまさにトランジットでしたがしばしの観光が出来ました。16日の昼は機内食です、さすがにエスニックな味でした。
食べては観光、しかもバイキングが多いのでメタボです。

 タイの話題が続き、佛跡はまだか!と思われるでしょうが間もなくです。画像だけは膨大にあるものでボチボチです。

二日目

パクナム寺





 2月17日(火)2日目、早くの朝食後にホテル近くの船着き場からチャーター船(大型ではありません)にて水路にてパクナム寺に向かいました。
宿泊組と合流です。

 メンバーの中の曹洞宗の和尚様が2年間修行されたというタイのお寺です。
日本のお寺とは全く違います、気候風土でしょうが床や柱は大理石で出来ているのでひんやりします。
また、朝は托鉢して食材等の布施を受けそれを食します。また他の食事はその日に施主が供養した物、又は金額で食事すると言う事でした。
原点を見るようでした。

 寺院の規模も大きく、宿泊設備も充実しホテル並みということでした。
宿泊組の話ですが快適でしたよ、とニコニコ顔で合流したので想像はつきましたが。次回は宿泊したいと思いました。
修行の数も多く100人ぐらいは修行それているそうです。関係者も入れれば150人以上はここで生活されていることとなります。

 丁度、何かの法要日と言う事でのんびり気味でしたが時間が近づくにつれて信者の方々が参集します。
再びバンコク空港へ向かうために時間が無く見られませんでしたが本堂内で記念撮影となりました。画像上ですが、今回のメンバーです。仏像は金ピカで光っていました。
これは文化の違いを実感します。

 その後、空港へ向かいました。昼の便にていよいよインドです。ガヤ空港への3時間30分程のフライトとなります。
満席でした。タイからの観光客というか参拝者でしょうか、所々の名所で出会いました。
関取クラスの方が隣でどうなることかと思いましたが、席を代わられたので助かりました。
3席の真ん中だったのでサンドイッチ状態、坐禅している方がましですね。ヒヤヒヤものでしたがほっとしました。

 旅は色々あるものです。まだまだ続きますが膨大な量のプリントの整理に気が遠くなります。

一日目

はじめにあたり





 今から25年前ほどの修行時代にインドへ行く機会がありましたが丁度、転錫(てんしゃく・僧堂を移ること)を考えていた時期であったので辞退し留守番を選択しました。
あれから一度は行ってみたい仏教徒、僧侶としての聖地への思いはあったものの実現出来るとは真に感無量であります。

 当時、一緒に留守番した福知山市内の某和尚さんも思いは一緒だったようでまたご一緒出来るとは何かの縁でしょうか。今回、お誘いを昨年から受け決断に至ったのです。
龍雲寺に住職して20年の節目、また丑年の年男という法縁の年というのも何やら不思議な事です。

 最初は迷いもありましたが、時期的にも日程も合致しました。思い立ったら何とやらではないですがなかなか機会もなく、一人で旅するなんてことも不可能です。
良い機会に巡り会いました。

 このご時世です少々、無い髪の毛を引かれる思いでしたが住職として見聞を広め又お釈迦様のご遺徳に少しでも接することが出来ぬならと思いました。
結果として良い巡礼となりました。以後、お伝えしますがお釈迦様の涅槃の地であるクシナガラにある涅槃堂内での行道は感激し目頭が熱くなりました。
霊鷲山(りょうじゅせん)での法要、日没は絶景でした。お釈迦様も見られた光景だと思うとなおさらです。

 色々ありますが皆様と一緒に今一度振り返り、思い出の巡礼をいたしましょう。

 当初の日程では関空を夜中に出る夜行便で、タイはバンコクでしたが昨年秋の空港占拠での影響で減便となり朝の便となりました。
2月16日午前5時に福知山を出発し10時30分のタイ行きの便で一路、トランジット地のバンコクへ向かいました。
入国検査の時、はじめは行列も少なかったのですが何と実習中の審査官で大いに時間がかかりました。他の列はスイスイでした。

 なんとかホテルへたどり着き一休み後、タイ式水炊きの夕食を賞味しましたが、その後市内のパクナム寺への宿泊の方と分かれての宿泊となりました。
何とか、1日目終了です。

 画像上、関空
 画像下、バンコク空港(数年前に行きましたが新たな地に新空港が出来ていました)