インド佛跡巡礼帖
平成21年2月16日〜24日

第2巻
日程4日目〜


ようやく到着



 目的駅のツンドラ駅に結局5時間遅れで到着しました。寒くなくても、ツンドラとは面白い駅名ですね。
トランクはポーターさんがバスまで運んでくれますから楽に駅を出ました。

 専用バスにてアグラに向かいました。バス車内では、あぐらかいて楽でした。そのまま昼食場所のホテルへ向かい朝食後、いよいよハイライトの「タージマハル」の見学となります。

列車の車内




 画像上、二等寝台車の中です。上下にあり4人が寝れます、また通路側にも上下にあり2人寝れます。6人1組でしょうか、カーテンはぼろぼろに近くあまり意味がありませんでした。
インドのミルク紅茶、「チャイ」を飲む私です。フリース着ても寒いぐらいでした。

 画像下、予定通りならホテルでの朝食でしたが大変遅れたので車内での朝食となりました。色の薄い玉子焼きに風なオムレツ、食パン、スポンジケーキ、オレンジジュースでした。卵焼きは食パンに挟みケチャップかけて食べましたがなかなか美味しいものでした。
これもインド体験です。

インドの列車




 狭い簡易ベッドでも何とか熟睡できました疲れていたのでしょう。
夜が明けて、車内など様子が分かりましたが意外と広いです日本で言う在来線の車内より大きく、新幹線の車内ほどの広さのようです。

 さてどこか分からない駅わ通過したり停車したりし、人も入れ替わります。停車しては見ましたが地平線が広がります。
停車下駅で撮影した列車です、日本と随分違いますね。意外と列車ながめるの好きなのです。

インドの駅にて




 ムーガルサライ駅での続きの話となり多少ダブりますがご勘弁いただきまして色々とお話します。
ホームに入ってから1時間以上は待ったでしょうか、現地での日付は変わり2月22日となり午前1時30分にはなっていました。

 マガダ急行がなかなかやってきません、結局最終的に3時間の遅れとなったようですね。冷房付2等寝台車と1等寝台車に分かれての乗車となりました。
男性で比較的若手和尚さんは、多分2等寝台と思います。女性とお年寄りの方は2等寝台と思います。違いはあまり分かりませんが、車両が日本の車両は違い幅が広いです。丁度、日本の新幹線車両の幅ほど有ります。

 通路側にも縦に上下寝台があります。一応、洗濯されたシーツと毛布がありましたが持参したのを使用しました。
列車も好きなのでなかなかいい体験ができました。車両は随分と使用されたのかカーテンが破れたりしていましたが、とりあえず寝台を確保してから寝ました。

 画像下は、同じホームで一緒になった日本人若いお嬢さん2人です。先に待っていたようですが地元のガイドに連れられここに来た車両に乗るように言われ、ガイドは帰っていったとか。なんとアバウト、さすがインドお国事情です。
バックパッカーさんですね、インド国内を回っているのでしょうが2人とは勇気があるお嬢様です。九州は鹿児島とか言う事でした。

 私達の同行添乗員さんにデジカメの画像見せて、「この寝台車に乗るように言われたんですが」とそれは1等寝台だったようです。
ちょっとした日本人との出会いでしたがその後、彼女達とはアグラ城で再会する事となります。一緒に写るカメラ持った和尚さんも鹿児島出身と言う事で話が合ったようです。

 写真撮りながら連絡先も聞いてないのであげられませんね。

インドの駅




 サールナートからアグラへの移動は列車移動となり、しかも寝台車で車中泊となります。夜行列車移動とは大変久しぶりですが何だか、旅という感じします。

 画像は、ムーガルサライ駅構内です。夜の中をバスで走り駅に到着しましたが予定の列車が2時間遅れの情報が入りバス中で待機しました。
途中、駅辺りを散策しましたが暗く、また治安のこともあり近辺だけとなりました。

 駅ではアナウンスが流れていましたがさっぱり意味不明です。ご覧のように構内では人であふれ、寝ています。
ベンチもなくバスで待機したのが分かりました。

 そろそろと言う事で、地元ガイドさんの案内でホームへ向かいました。荷物はポーターさんが持って行きますが少し不安でした。
待ちくたびれましたがホームで待つことさらに1時間以上、真夜中になっていました。数列車過ぎますが予定の列車がなかなか来ません。
これもインドならでは、定番のようです、最終的に5時間遅れで目的駅のツンドラ駅に到着しました。

 寝台車両は、中から鍵がかかっいるので外からドンドンたたいて開けてもらうというシステムにはビックリです乗車出来るかと冷や汗ものでした。
何とか乗り込み直ぐに貴重品抱えて寝ました。耳栓しアイマスクして寝ましたが意外と寝れました、疲れていたのでしょう。

 列車移動なら、25年前ほどに行った中国を思い出します当時の移動は列車が意外と多くありました。
そんな事を思い出しました。

迎仏の塔




 スリランカ寺院の近くにある、「迎仏の塔」を参拝しました。
丁度、夕方でしたので大地に沈む夕日を見ることが出来ました。画像下は、塔の上から撮ったものですが、中央に見えル塔がスリランカの寺院です。

 迎仏の塔に参拝する前に、市内の「野鹿園のギフトショップ」でお買い物タイムとなりました。高架の下にあるようなお店でしたが店内はやや広く色々ありましたが、店員さんは殆ど日本語が達者で一人一人に店員が密着し品を進めます。
「もう、一人で見せてよ、ほっておいて下さい」と言いたいところでした。シルクもと思いましたが、最初の値からプライス、プライスですから何だか元の値段が分かりません。

 商魂たくましい店員さん達でした。見るだけ見て、欲しい物買ったらバスに戻るのが安全策ですね。

 一旦ホテルに戻り、夕食を済ませてからいよいよお楽しみのインドの夜行列車の乗車駅ムガールサライに向かいました。
定刻に来ない、発車しないのが定番のインドの列車の旅です。

 お楽しみに!

サールナート遺跡




 サールナート遺跡に参拝です。
ここでもタイやベトナムからの参拝者が多いですね。34メートルのダメーク大塔に参拝し法要をしました。

 その後、遺跡内の僧院跡やアショーカ王柱跡、ダイマラージカ仏塔跡を見学しました。
画像は、やらせ写真的ですが仏塔をバックに記念写真を撮りました。広い遺跡内です当時の繁栄ぶりが分かります。
しばしお釈迦様に近づいたでしょうか。

 その後、博物館へ行きました。この頃、体調不良でした館内でもイスがあれば坐っていました。次にスリランカ寺院への参拝となりましたがバス内で休息しました。これが良かったのか回復しました。
やれやれ冷や汗ものでした。

地図寺院




 更新が途切れがちですがもう訳ありません。
ガンジス河の早朝の沐浴と日の出に感激し、一旦ホテルに戻り朝食となりました。その後は自由行動と言う事でしたが殆ど同じコースとなりました。

 数人の方は、油のエステに行かれリフレッシュをされていました。
我々はベナレス市内を観光しました。その中の地図寺院です、バーラット・マーター寺と言います。ご覧のように自然の石でインドの地図が作られています。
これを見学するだけですが博物館のような寺院でした。

 しかし石を使って細かく描写されていました。

 昼にはホテルに戻り、昼食後少し休みサールナート遺跡に参拝に向かいました。注意はしていたのですがお腹を壊しました。
この日の昼食もキャンセルして部屋で回復を試みました。体調もすぐれず一時はどうなるかと思いましたが夕方には復活しました。

インドの花




 所変われば色々な花があるものです。
ご覧の花、各地で見ましたが花が先に咲き後から葉が出るのでしようか。名前聞きましたがわすれました。
オレンジ色もありましたね。

 画像下は、ガンジス河近くにあったマザーテレサの病院です。世界からの寄付金等で運営されているとか。
私達も気持ちだけですが寄付しました。院内は高齢者の方が多く入院されてました。

ガンジス河3




 ガンジス河からの日の出は絶景でした。
感激です、対岸の台地からのぼる風景は太古から続く風景だけに感激であり、お釈迦様も見られたと思うとなおさらです。

 みなもも穏やかで太陽がのぼるにつれて黄金色になり、黄金のガンジス河に変化していきました。
実に厳かです。

ガンジス河2




 木造船で遊覧しますが時々、ご覧のように沐浴する人と遭遇しますが日の出ともに少なくなりました。
その代わりに、物売り専用船が横付けしましたが船頭さんが追っ払ってくれました。さすがに地元の人のいうことは絶大、従います。

 商魂たくましいものです。
画像で楽しみ下さい。

ガンジス河




 ホテルにチェックインしたのが少し遅くなり、夕食も遅くなりましたが翌日、早朝夜明け前に一旦ホテルをガンジス河に向かいました。

 まだ夜明け前で暗いのですが街中は大勢の人人です。河に近くずくにつれて人も増えガイドさんや前の人についていくのが必死です。
はぐれれば帰れませんね、見失うことなくついて行きました。近くまではバズですよ。

 到着した頃には薄明るくなっていました。日の出時間は忘れましたが午前6時頃でしょうか、西なので日本の夏に比べれれば随分遅いです。

 すでに沐浴は始まっていました、あちこちでお祈りをしてからヒンズー教徒の沐浴風景を船上から見学しました。
写真には撮っていませんが、河原で火葬している風景も見ました。現実の世界へ戻ります、「死」というものを実感します。

 画像上の船上で立つ、黄色いベストを着た方が現地のガイドさんです。

シルク店




 ベナレスのホテルに着く前に、リクエストによりシルク店へ寄り、しばしのショッピングタイムとなりました。
お決まりの、最初に工房を見学してから店内へと進ます購買意識を刺激します。インドの代表格的シルクです、いろいろありました。

 添乗員さんの話では、2年ぶりの来店とかです。
以前利用してトラブルがありそれ以来利用していなかったとかで日本語ペラペラの店員さん低姿勢です。
ベテランの添乗員さんは違います。「はい、出発10分前価格!」店員も熱が入りプライスダウンです。

 粘りに粘りる交渉の和尚さんも、、、いったい本当の値段はと思います。
私も奥様と家内に3枚購入、、日本で買う方が安かったりして、、、。採寸して作務着を注文しました。
3000円でしたが仕上がりは、、、どうでしょうか。しかし試しにと思いました。翌日には仕上がります。

 全員何か購入していましたがこれでこの店も売り上げノルマ達成でしょう。

夕焼け


 ベラレスへ向かう時の夕方、夕焼けに出会いました。
インドの夕焼けですが、珍しいとのことでした。貴重な写真と言えるでしょうか。

屋 台




 ベナレスへ行く道中では色々な風景が見えますが、街中は大変な賑わいです。
ご覧のように露店や屋台が並びます。野菜や果物は豊富で種類も多いですね、日本では見られない野菜が並びます。

 見ているだけで面白いです。

 画像下は、ベナレスへ行く道中に休憩した町での露店で若い和尚さんが何か買っていました。揚げ物に辛いソースがかかった食べ物のようです。
熱処理してあるので大丈夫でしょうが、冒険です。さすがに若い和尚さんは違いますね。

 なかなか珍味だったとか。

最後の説法地




 その後、お釈迦様最後の説法地へ向かいました。
比較的近くです、バスで30分程の所にあります。今ではご覧の様なお堂が建っています。堂内に入り参拝としましたが、管理人が鍵を持ったままどこかへ食事か休憩に行ったようで結局は中には入れませんでした。

 窓から中を撮影しました。

 その入り口付近で地元の参拝者か観光客でしょうか、比較的若い若者達が何とRVのロングでしたが、11人が12人乗り次の目的地へ向かっていきました。
びっくりです、完全に定員オーバーです何でもありですね。

 その後、一路ベナレスへ向かう旅となります。途中、昼食やトイレ休憩を取りながらの半日の移動となります。
ベナレスのホテル到着前に、有名なシルク店によりショッピングとなりました。娘と奥様用にと三枚ほど購入しました。
中には、木綿の生地をどどっと購入されている和尚さんもありました。

 いよいよ21日の夜明け前にはガンジス河の沐浴の見学です。

何寺院


 涅槃像が発見されたヒランヤパティー河の直ぐ横にあった寺院ですが、お寺と言うよりお堂のような感じです。
村の鎮守のような信仰でしょう、花嫁さん達が参拝来られていたのに遭遇しました。綺麗なお嫁さんでしたが少し年齢が、、という声も聞かれましたが一緒にいた子ども達の笑顔は無邪気で可愛いものでした。

 何教かは分かりません、ヒンズー教?メモするの忘れていました。

河で発見




 荼毘塚に参拝後は、近くのヒランヤパティー河へ行きました。
この河は、お釈迦様が最後の沐浴地でもあり又、涅槃堂内にあった涅槃像が発見された河でもあります。

 他教徒からの破壊などを恐れて河に隠したのでしょう。穴を掘って埋めるより簡単だったのでしょう。
画像上の木がある辺りから発見されたと言う事ですが。

 画像下のお墓のような物は、お墓ではありません。子供の成長を願ってある年齢になった時に建てるそうです。
横にはヒンズー教寺院がありました、お寺と言うよりお堂のような祠でした。丁度、村人が結婚したからと参拝に訪れていました。

 兄弟か親戚の子供達も一緒に訪れていましたが、カメラを向けると恥ずかしそうにしている女の子が印象的でした。
また出入り口には、三帰依文を歌う母子が居ました楽器は分かりませんが、持ち運び出来る空気式のオルガンのようでした。

荼毘塚




 涅槃堂に参拝してから一旦ホテルに戻り身支度してから出発して少し離れた荼毘塚へ向かいました。
到着後、法要をしました。荼毘とは火葬にすることです。

 ご覧の様にレンガを積み上げてある塚です。
発掘されて出土したレンガを想像で積み上げられたとか。と言う事でしたがどうなのでしょう。
今では、遺跡ですが巡回できる公園のようになっていました。日陰がないと日差しは強く暑いですね。

涅槃堂内




 画像上、涅槃像の佛足部分です。
ここに額をつける参拝者が多くありました。最高の敬意を表す意味があるといいます。普通の生活でも、相手の足のヒザ辺りに手をつけて額に付けて目上の方や尊敬する人に敬意を表す習慣もあります。

 画像下、像の中央あたり参拝するところです。後ろ姿の彫刻でした。

涅槃堂内




 最初は余裕のあった堂内ですが、参拝者がどどっと入堂してきてあっと言う間にご覧のように満員となりました。

 チベット系がスリランカ系の参拝者でしょうか、国籍入り乱れての読経、お祈りとなりました。布を涅槃像に掛けていますがしばらくして係の人が持って行くそうです。その先どうなるのでしょうか、これで生計を立てているのでしょう。

 出入り口で履き物を脱ぎますが、番人という靴磨きのような人が、、、やはりチップの請求がありました。
何でもあります、何処までが係員でどこまでが一般人なのか見分けが付きません。

 法要後は記念写真を堂内と涅槃堂をバックに撮影しました。
また、参加者中の寺院の閑栖さんが遷化された後だったので遺骨の少し一部を涅槃堂の外の片隅に納骨しました。
言うまでもなく係人に許可を受けてですが、そこはそれチップ次第と言うことでした。

 出来る事なら私も息子に託したいものです。

涅槃堂




 2月20日、午前8時頃にホテルを出発しました近くなので直ぐに到着しました。
時間的に参拝のピークの時間帯を過ぎていたので比較的混雑もなく、堂内に入りました。

 目に飛び込んでくるのは、大きなお釈迦様の涅槃像です。
ご覧の様に赤い布が掛けられていました。数人かは堂内で瞑想やお経らしきお祈りをしている人もありましたが早々に法要になりました。
楞厳呪を読みながら行道をしました、また御詠歌と坐禅もしました。

 厳粛な空気に包まれ、記録担当なのでカメラで記録していましたがファインダーが霞みます。感激で目頭が熱くなりました。
数千年の時を越えてお釈迦様に接近したような気がしました。

 丁度、出発前の2月13日に少し早く保育園で涅槃会(本当は2月15日)を行いました。本堂にお参りして読経、涅槃図を見てお話をしました。
お釈迦様が亡くなられた地、インドのクシナガラです、、、、、、。などなど図の説明とお話をしたところで、「園長先生は行ってくる来るからね、、、、。」と言って来たばかりなのでなおさら感激です。

 次回の説明は一味違うお話になるかもです。
恥ずかしながら、若い保育士の中には本当にある地とは思っていなかったようです。「えぇー本当あるんですね」と言っていました。

 法要の最後の方には、スリランカからの仏教徒でしょうか多くの参拝者が入道して来て一杯なりました。
坐るところもないほどです。黄色い布を巻いてはお祈りして涅槃像の足に額を付けていました。

 この涅槃像は、なんと近くの川から発見されたものなのです。
ヒンズー教などの他教からの迫害を恐れて川に隠したのでしょう。その川も見学に行きましたのでお伝えいたします。

クシナガラ




 いよいよ今回の佛跡の目玉でもあるお釈迦様の涅槃の地であるクシナガラに到着です。夜になり翌日の20日に参拝となりました。

 画像上、ホテルのロイヤルレジデンシー部屋の庭から撮影した20日の日の出です。
寺院からの日の出、なかなか良いロケーションでした。

 画像下、涅槃堂です。
堂内には涅槃像が安置されています多くの参拝者でしたが少し時間帯をずらして参拝しました。

学 校


 クシナガラへの道中、アショーカ王が建立したと言われる王柱が残る僧院跡の近くにある学校です。

 ご覧の様な建物です。ニコニコ顔の子供達が印象的でした。

バイシャリへ




 クシナガラへ向かう途中、バイシャリにて、お釈迦様の仏舎利(お釈迦様のお骨のこと)が発見された塔を見学しました。
画像上が仏舎利が発見された塔の跡となります。

 円の部分で四角い凹みの角で仏舎利が何か壺のような物に入った状態で発見されたということです。
日本の寺院でも、仏舎利塔がありますがお釈迦様のお骨をお祭りした建物の意味あいで建設されています。

 バイシャリは、お釈迦様を外護したリッチャブィ族の都として栄えた大都市です。当時、お釈迦様も度々訪れ、逗留されました。
アムラバーリのマンゴー園寄贈や、猿の群がお釈迦様の鉢に蜜を取り供養したことで有名です。

 画像下は、近くにあるアショーカ王が建設したと伝えられる王柱が残る(画像の左にあります)寺院跡です。
仏跡各地で見られる、こんもりとしたこの古墳のような山、塔の跡ですが「ストゥーパ」と言い、土を盛り上げたもの と言う意味です。
お釈迦様の仏舎利(遺骨)を土で盛った塚に納めて崇拝の対象にしたのが始まりといわれます。
今では仏舎利が納められたかどうか分かりませんが、仏塔として又は象徴として崇拝されています。

 横にある小さい仏塔の跡は、お釈迦様の供養に、遺徳を偲ぶ意味で施主が建設した物と言われます。

 見学後、少し遅い昼食をレストラン「ZENレストラン」というレストランで食べました。言うまでもなくインド料理のバイキングです。
名前がいかにも日本式というか観光客相手のような前ですが偶然かも。

 その後一路クシナガラに向けて走りました。午後6時30分過ぎにはホテルに到着しました移動距離380q程の長旅も終わりました。
お尻が痛いです少々お疲れモードです。

ガンジス川越え




 長旅の途中いろいろな風景を見ますが街を通る度に人が多いのにびっくりします。
露店も多くいろいろな品物、産物、果物を見るのも楽しいものです。

 途中、ガンジス川を越えました。
「ガンジー橋」という長い長い橋ですが、なんと途中修復の工事中で車線がふさがれていますが反対車線逆走です。
日常的なのかクラクションは鳴り響くものの事故もなく無事通過しています。

 バスの運手さんも途中元の車線に入りそびれしばらく逆走、驚きです。
しかし事故がないのが不思議です逆走なんて普通なのでしょう。しかしインド国内はクラクションが鳴り響いていましたが日本に帰ってきて道走り静かなのが不思議でした。

 画像下が、その工事中です。中央分離帯を壊して反対車線に入れるようにはしてありますが、警備員も誰もいませんご自由にどうぞという感じですし工事はゆっくり何時終わるのか未定とのことでした。

 この橋を越えればバナナの大生産地となっておりハバナ畑が広がっていました。
橋の料金所で停車すれば、お決まりの物売りが集まります。ガイドさんが参考にとバナナを購入して食べましたが味が濃く美味しいバナナでした。サイズは少し小さく太いモンキーバナナです。
 
 露店にはバナナがフサごと、フサと言ってもバナナの木になっていたその物ごと釣り下げてあります青いままです。
熟れたところから、好きなところから取って買うそうです。
ホコリを一杯かぶったバナナでした。「そんなバかナ」ですがそれが普通なのです。

 川に近いので魚を売る人もありました。言うまでもなく氷なんてありませんその場で料理して販売しているようでした。
車中からですからはっきり分かりませんが大きな魚でした。

クシナガラへ


 日程4日目の2月19日(水)

 ラジキールのインド法華ホテルを早朝、日の出前に出発しました。移動距離約380qの長旅となります。
出発してしばらく、午前6時20頃日の出見学のために一時停車してインドの大地からの日の出を見学しました。

 平野で山からの風がなく無風状態で水蒸気もなく綺麗に見えました。手前には鉄道の線路がありましたが、もうすでに人が歩いていました。
無風なので、朝食の準備でしょうか薪を燃やす煙が上がりたちこめていました。これもインドならではの光景でしょう。

 お釈迦様の涅槃の地、クシナガラへ向けての行程の始まりです。