雲 原 砂 防
国の登録記念物指定(遺跡)第1号
深山川第2堰堤です。 以前にも紹介していますが、違う角度からの画像です。規模と高さでは一番大きいでしょうか。 現在ではまだ土砂で埋まってはいません、先の台風23号でよく埋まらなかったものです。底には水の通るトンネルが開いています。 上から見るには結構大きいようですが、流木等で詰まってしまわないかが心配ですね。 規模は違う堰堤も色々ありますが、小規模の堰堤の中にはすでに土砂で埋まっている堰堤もあります。 基本的には土砂が一杯になれば、堰堤の役割は終わると言います。埋まった土砂を取り除く事はしないそうです。 新たに災害の危険があれば新たに建設となると聞きました。例外もあるでしょうが。 現在の治山ダム(堰堤)も役割は一緒です、山中にあるものです道無き道のところが多く、工事車両が入る道から建設と言うことになりますし終われば元に戻すと言うこととなります。 |
午前11時頃から始まった魚つかみ大会、大勢の参加があり2組分かれて行いました。 魚は料理して、炭火で網焼きにして食べました。 最後は捕まらず網で取ってもらいました。 この時期、また子供達は大喜びでしたが中には魚が苦手なお母さんも居られました。 鮎は元気ですね、川上へすいすい泳いでいました。 えぇー、勿論に河川使用許可を得ていますのでお間違いなく、またこのイベントに必要な道路使用許可などなどすべてクリアしています。 買い出しから、この許可などを申請に奮闘した「やまぶきの会」の面々のご苦労をたたえます。 何をするにも準備等大変です。 魚をつかみ大喜びのお嬢さん2人は、龍雲寺保育園の保育士さんです。 |
画像上は、メイン会場の地元産の野菜販売所です。 画像中は、KBS京都放送局のスタッフさん達です。 画像下は、ドラム缶転がしの様子、当保育園の保育士さんです。この段を軽々と乗り越えていきました。 普段は園児さんを転がしているだけに上手です、なんて冗談ですよ。 |
深山川砂防のご紹介です。 雲原は仏谷区、与謝トンネル雲原側トンネルに向かって左の谷になります。国道から300mほど入った所に第1号堰堤があります。 その直ぐに下流には雲原の簡易水道の水源設備があります。 またその上には第2号堰堤があります、これは結構大きな堰堤です。画像下が2号堰堤から撮ったものです。 高くて足がすくみましたが、意外と土砂等で埋まっていませんでした。1号堰堤は規模も小さいこともあり又先の23号水害で大きな石がゴロゴロしていました。 堰堤の作り方も色々ですが、御影石を使ったもの、コンクリートを使ったものとまちまちです。 ご覧の2号堰堤は本体はコンクリートですが、堰堤中央の凹んだツラ面は御影石が使われています。 この仏谷区で採掘された石でしょう。 考えると、現在はミキサー車で運び加圧ポンプで生コンを流し込みますが当時はどうしていたのでしょうか。 1日に法務に行ったお堂で話に出ましたが、70歳過ぎの方が当時現場でコンクリート混ぜの仕事をした言われていました。 雲原村、村総動員の工事であり事業だったのでしょうか。人力ですから大勢の人が必要だったのでしょう。 私の聞いた話では、コンクリートは出来てから100年で強度が最大を迎えると云います。 質にも左右されるでしょうが、未来に伝えたい建造物です。 |
いよいよイベント目前となってきましたが、なんと台風が接近していますこの動きが大変気になります。 通過してしまえば良いのですが動きが遅くなれば最悪直撃なんて事になるかもしれません。早い通過を祈りましょう。 長曽谷川堰堤のご紹介です。 ここは、仏谷区の奥にあり旧与謝峠に入る手前にある谷にあります。「ながそたにがわ」と読みます。入り口には、ご覧の通り看板が設置され分かりやすくなっています。 堰堤下に大きな石が横たわっていますが、台風23号水害の時に流れたのかも知れません。当時はここを濁流が流れていたのです。堰堤本体はびくともしていません、流路工は一部修復してあります。 私も水害後この辺りに着るのは初めてで、林道を通ってましたが何カ所も植林の山肌が崩れています。流木と土砂が相当量流れたのでしょうが大きな被害が無かったのはこの砂防があり整備されてあったからでしょう。 場所ははっきり分かりませんが、この水害後に新しい堰堤が治山事業で出来ると聞いています。 新旧の堰堤のコラボでしょうか、実際にこの新旧の堰堤を見ることが出来る所もあります。イベント当日も探訪コースに含まれています。 雲原村ブログとかぶるでしょうが、お伝えしていきます。 |
砂防の環境整備も進み綺麗になり当時の姿が蘇りました。順次お伝えいたしますが直接は関係が無いかも知れませんが、砂防に使われた石について少しお話しいたします。 専門的なことは分かりませんが、聞くところによると当時、砂防堰堤や護岸には雲原産の御影石が使われました。 仏谷区の辺りから採掘された石は、黒御影石でした。現在も護岸等を守っています。 画像上は、その黒御影石を使用し建立された雲原区の忠霊塔です。昭和15年に出来ています。 昨日、30日掃除がありその後、読経の依頼がありそんな話をしていました。イベントでの語り部さんが居られたので、こんな話もされるかもです。 また石は数カ所で採掘されたようで、その中に寺の奥、寺谷区(通称・中村)にありました。実際に寺の高塀の石垣はここからの石が使われています。 画像下がその辺りの場所なのですが、確かな場所は分かりませんでした。 竹藪の中に御影石がごろごろしてます、ここまで運ばれここである程度まで加工されたものと想像します。 この奥の山へも行ってみましたが、植林の中にも御影石がごろごろしていました。 当時この工事の石工として職人さんも雲原に来られていたのですが、その中でも棟梁的な方に、神取種蔵さんという方が居られて工事が終わってからも雲原に定住されました。現在の市場区に在住されたと言うことです。 どこから来られた(三重県?)方かは定かではありませんが、雲原が気に入られたのでしょう雲原で天寿をまっとうされています。 昭和37年12月10日に他界されています。無縁となり当山の祠堂となっています。 祖父、正道和尚が葬儀し戒名を付けています。 また、工事にたずさわる人も多く来村していたと聞きます。その中には海外の方も居られたと聞きます。 閑栖和尚が子供の頃、忠霊塔の工事にも来られ遊んだことがあると言っていました。 |
最終全体会議
昨夜はコミセンで全体の会議がありました。 各部の確認と役目など最終的な詰めの会議です、皆さん忙しくお疲れでしょうが役員の方々が参加しました。 午後10時前までかかりました。 当日はKBS京都の取材もありますし、府民広報誌の取材もありますので注目を得ている取り組みを再確認しました。 環境整備も完璧に近く、メイン会場周辺も綺麗になりました。 夏なのでテントの確保も出来ました、駐車場の確保や案内も万全に近いですね。私も午後でいすが保育園バスのアンパンマン号をシャトルバスに仕立てて運転します。 宣伝になりますね、こんな田舎にも社会福祉法人の保育園があるとは外部から来られた方は知らないことでしょう。 特産物販売として、地元産の野菜中心に区民の方々に依頼し着実に集まりつつありますが夏野菜の目玉、ナスビやトマトの露地物がありません。 地元産にこだわらず近くの産地からハウス物を確保する予定となりました。 焼きそばもありますが、担当が区長さんや区の役員さんです。男性ばかりで味付けが少々不安のようです。凄く簡単なことなのですが、、、料理経験が無いのかなぁ。 前日は準備に大忙しとなるでしょう。 8月に入って最初の、土日のイベントなのでお寺にとっては少々痛いのですが区あげての取り組みです頑張りましょう。 |
清 流
砂防イベントも間近となって来ました。 昨夜の納税の集会でも今一度の協力と「盛り上げよう」を区民の方々に伝える話が区長さんからありました。 環境整備のボランティアも次回、28日(土)の午前中あります。その夜には全体会議があり最終的な打ち合わせがあります。 また区民全体で参加しイベントを盛り上げようように協力依頼がありました。 当日は、なんとテレビ局の取材があります。 KBS京都で8月16日(木)午後9時50分〜・再放送17日(金)午後5時55分〜放映されます。京都府広報テレビ番組「旬感☆きょうと府」です。どうぞご覧下さい私も映るかも知れません、、、。 「清流」は、やまぶきの会発行の雲原砂防を伝える機関誌です。イベントだけの情報誌だけだったかも知れませんが地域の話題、特に今回のイベント中心の話題です。 取り組みや、趣旨がよく分かり助かります。特に区の役員さん以外の区民の方々にはよく分かり、見やすい内容です。 区の役員とは関係のない方、とくに高齢者の方々には大変よい情報となっていることは間違いありませんね。 これを作られる事務局の、ある方の苦労がよく分かります。 |
部会続く
昨夜、23日午後8時からも公民館でプロジェクト2と3の会議が公民館でありました。 もう間近なので役割分担の確認等の詰めとなります。 参加数が少し満たなかったので期間延長となりましたが着実に集まっています。 我が福祉会も、ドラム缶転がしタイムレースに参加することとなりました。若い保育士さんが花を添えてくれるでしょう。 全体の会議は、28日(土)にあり最終確認となるでしょう。 協賛金も集まりつつあります、まだ募集していますので一口、1.000円からですのでご協力いただければ幸いですので、ご一報下さい。 また環境整備も着実に進み、草刈りや雑木の伐採もでき当時の砂防が蘇りました。 私も参加したかったのですが、土曜日曜が多く法務と重なります。 次回、28日(土)の午前中が最終でしょうか、イベント前日も会場周りはしますが何しろ初めての区あげての取り組みです。 実際に行ってわかることもあるでしょう。しかし村おこし、ピーアールです活力ある姿を来た方々に見ていただきたいものです。 区民の中には温度差もあり、冷ややかな意見の方もあるのも事実でが、ここで踏ん張り頑張らないと過疎地は忘れ去られます。 学校問題もあり、区民の底力を見せたいものです。 当日の天候が一番気になります、晴天を期待しましょう。 また、8月入っての最初の日曜日です何かと他の地域でもイベントの多い時期でもあります。集客が少し心配ですが頑張りましょう。 |
いよいよ間近
もうご存じとは思いますがポスターも出来上がり雲原各戸は配布しれています。 立派なカラーポスターも仕上がり、色々な所に張り出してあります。また地元紙でも取り上げれてもらい、各種のプロジェクトの募集が始まりました。 地元の活性化と村おこしの思いもあります、他地域や○政との温度差はあるかもしれませんが、地元の比較的若い者は頑張っています。 自治会が中心となり、実働部隊は「やまぶきの会」が中心となり地域の諸役員の方々にも配慮して活性化に努めています。 今月末の30日(土)の午後6時30分からは、北陵コンセンにおいて当時の砂防事業を知る方々から話しを聞き、後の世に伝えていく、将来の語り部養成講座が行われます。 国道にかかる橋にも垂れ幕がかかりました。郵便局前の橋です。 7月15日(日)午前8時からは地元の方々によるボランティアで砂防整備が行われます。草刈りや、整備が行われます。 ご覧の方、遊びに来てください。 |
23日の午後7時30分から北陵総合センターで2回目の全体会議が行われました。 挨拶の後、各プロジェクトの具体的な内容の説明が行われ、各部の具体案が提示されました。 今後の計画の日時や予算等など具体的な話です。 説明後は、意見交換がり活発なる意見交換がありました。何しろ初めてする企画です、村おこし的であり、福知山の山間部にも元気な地域がある事を分かってもらい、来てもらうことが活性化につながります。 先ずは雲原砂防を見てもらうことが大切で、プロジェクト1の「ふるさと探訪ミニツアー」が主となるでしょうか。 ルートは、ほぼ決定しましたが整備等が必要で6月24日には環境整備が行われます。 道の整備、草刈りなどルートの安全確保するものであり又不法投棄もありゴミ撤去もしなくてはなりません。 木を切ったりと、整備の必要が確認されました。 他の案も色々と考えて行かなければならい点が色々とありました。 大まかな概算の予算も出ましたが、これまた色々と考慮の点がありました。何をするにも予算がかかります。 その中で、行政等や公の所からの予算が期待されるところですが、何しろどことも財政難の時代です。 すんなりとは予算確保は難しい所です。しかし、お祭り的なことには中々難色でした。 そこで、「雲原砂防イベント」のタイトルから考え直さなければならない事となりました。 又、サブタイトルを考えるか。村おこし的、地域の人々で頑張って事、故郷へおいでよ、のような事を考慮したタイトルが必要となりました。 各画像は西石区の砂防です。 台風23号水害で壊れ復旧工事されていますが。当時は濁流がこの砂防を流れたのでしょう。 白くなったところが修復されたところです。 山中に突如、堰堤が現れます。 堰堤の向こう側はすでに埋まっています、木が倒れ大きな岩が転がって台風当時のままです。 雲原砂防建設当時は、地方から大勢の人々が働きに来村していました。 事故等で亡くなられた方もあるように聞きます。 堰堤はコククリート建設もありますが、自然石の御影石等を使用した物もあります。石工の方々も多く、神取(かんとり)さんという石工職人が匠の技で当時指導されたと言うことです。 石は雲原産のもので、お寺の奥(中村)に採掘場があり、実際にお寺の石垣にも使われています。 |
各部会議進む
5月14日(月)午後8時から雲原公民館でプロジェクト2、3の部会議が13人ほどの出席で行われました 魚つかみ大会と地元で出来た野菜などの販売等の案です。 具体的にどうするか、何匹買うかとかです。また3案内では焼きそば等の飲食を含むのでなかなか難しい問題もありこれからクリアしていかねばなりません。 当日雨が降ればどうするかという問題もあります。 何しろ初めてのイベントですのでどうなることか、何人来るのかも分かりません。宣伝次第では大にぎわいとなるかもしれません。 先ずは雲原砂防を見ていただくことが第一義です。 しかし雲原に来てもらって区民が頑張っている所も見てもらいたいのです活気のあるところ見てもらいたいですね。 最初が肝心なのですが、長く続けることも大切です。 若手の協力かつ活力がこれから大切となります、「我関せず」でなく区民一丸となってこのイベントを成功させたいものです。 当時は近辺、福知山も色々なイベントがあります。集客が心配なところでもあります大江山近辺が国立公園に指定されるかもしれない事。 「ぼんちフェスタ」もあります色々と重なります、時期的に夏イベントの集中時期でもあります。 次回の全体会議は、5月23日(水)午後7時30分から、北陵コミセン会議室であります。 各部の案を具体的にして話し合います。 雲原砂防関連リンク と 記事 由良川憲章推進ネット 京都府・雲原砂防について 両丹日日新聞・国の登録記念物指定1号の記事 雲原村ブログのリンクと関連記事 以上が主なものですが、雲原内の動きは特に「雲原村ブログ」を閲覧してください。 やまぶきの会のメンバーでもあり、檀家さんの、かままこさんが管理されて詳しく砂防関連の記事や雲原の話題を私とは違った視点で記述されています。 |
西原亀三氏のお墓
平成19年5月1日に、西原家先祖お墓が龍雲寺境内の墓苑に移転しました。 以前にも書きましたが、現在の当主(亀三氏の孫)は東京都在住であることなど諸般の事情で移転となりました。 右の石塔が亀三氏のお墓です分かりにくいですが字は、池田勇人氏が書かれ署名入りなのです。親交があったのでしょう。 雲原砂防、農地交換移転などの偉業を行った故人の偉大さが分かるようです。 左はの石塔は奥様の小松婦人のお墓です。 ドラマの「雲の絨毯」の主人公のモデルとなった日本で最初の女子パイロットなった方です。 後方に見える堰堤は先の台風23号水害で完成した治山ダムの堰堤です。 半世紀以上前に時の技術で砂防工事を完成させた亀三氏、今は現在の技術で完成した砂防堰堤に守られています。これも何かの縁でしょうか。 この堰堤が出来たのは下流域に国認可の社会福祉施設があったのでより早く完成したものです。 |
画像上は、雲原川の国道176号線にかかる橋から撮ったものです。左に公園が作られます。砂防工事で昔の流れとは随分変わったと言います。 画像中は、少し上流となります。両サイドのコンクリートは23号水害後につくられたものです。護岸の強度のためと思いますが。 画像下は、碑のそばに置いてあった「砂防床固」と書いてありました。 |
砂防記念碑
雲原郵便局近くにある雲原砂防工事を記念して作られた碑です。 内容は下記の通りです。 我が雲原村は、山々に囲まれた谷深く、昔から今日まで再三にわたって水害を受けてきた。昭和19(1944)年9月21日に台風がまたも関西わ襲うと、山は崩れ谷は埋まり、橋梁は流され、田畑は耕土わ流されるなど、今まで経験したことのない大変いたましい災害となり、村民はそろって、私に村長として復旧に当たるよう依頼した。 私は、土木の法律規則に基づいて原形復旧した土木当局の設計施設をよく見たが、もとへ戻すだけでは何度も被害を被り、国が度重なる対応に振り回される原因と考え、このことについて土木局広瀬久忠君に正すよう要請し、内務省技師赤木正雄君に現地をつぶさに調べ、水害わ防ぐには水源部に砂防施設を設けることが先だとの考えを示された。砂防法が明治31(1898)年に公布された。この法律が存在するものの、砂防費が無く、多額の費用を捻出する手だてがなかった。 そのため砂田重政君と膝を交えて話し合い、第二予備費わ活用する計画を提案し、高橋是清大蔵大臣に対して実情を話し援助を訴えたところ、大臣は申し出を理解し快く引き受け、決断を渋る地方長官を更迭してまでも、金135万円を京都、兵庫、岡山、鳥取、島根の5府県に支出することを決断された。 これにより本村の砂防施設に着手する事が出来た。この取り組みは全国の砂防工事の手本となるものである。本村はこの事業とともに、更に非能率的な農村の仕事をあらため、合理的機構の農村再組織を企画し、農地の交換、農家移転を断行し、引き続き農地改良事業を推し進めている途上であ。 顧みれば、昭和10(1935)年8月に起工してから数えること20年、所要総工費金2億6千万円を要するに至った。この間、終始一貫して赤木技師の熱心な指導と府当局の長嶺技師の努力と村民の協力により大事業が完成できた。これはひとえに高橋大臣の英断によってなしえた国づくりの基本となるものである。 私は政治に携わる者の先見性を思い起こし感慨にたえず、ここに本村治水の業績を彫刻して後生に贈るものなり。 昭和27年8月15日 天田群雲原村 西原亀三 以上の文面は、福知山市土木事務所発行の、雲原砂防と地域のくらし 平成16年1月発行 からお借りしました。 現在の西原家当主は亀三氏の孫にあたりますが東京都杉並区在住であり、諸般の事情からお墓を菩提寺である龍雲寺境内の墓苑に移転されました。 奇しくも今日5月1日に開眼供養をしするもの何かの縁ではないかと思います。 |
イベントに向け
4月30日の好天気の日、午後1時から市場区の河でイベントに向けての内容をより現実的にするための1つであるドラムカン転がしレースの現地での試験レースが行われました。 やまぶきの会の会員で都合がついた人が集まり実際に転がしてみました。 また次の会議資料やプロモ撮影もあります。カメラマンはかままこさんです水しぶきを上げながら転がす良い写真が撮れたことでしょう。 中には石につまずき転がる人もあるハプニングもありしたが会員の皆さん、イベントに向けてがっちりスクラムを組んでいます。 私は法務中でしたので衣です、参加は出来ませんでしたが取材撮影のみの参加でした。 |
雲原砂防とは
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雲原砂防は、昭和9年に雲原を襲った室戸台風の被害を受けて建設されたものです。 地域の河川などに大きな土砂被害が発生しことから、当時の西原亀三村長が府や国に働きかけて実現したプロジェクトです。 戦争で一時中断するものの20年に渡る工事期間をへて完成した雲原砂防は以後の砂防工事の先駆けとなりました。 この度、国の登録記念物指定を受けて記念公園が建設中です。またこの指定を記念して地元でイベントが行われます。 雲原の「やまぶきの会」が中心となり、自治会や地元の各種団体などなど雲原住民一丸となって、8月5日(日)のイベントに向けてプロジェクトが進んでいます。 詳細は未だ決まっていませんが順次お伝えいたします。 雲原出身の方はもとより、お近くの方は是非雲原へ来てください、見てください、体験下さい、京都北部の山の中にも熱い人たちがいることを実感下さい。 ロゴはやまぶきの会が考えられたロゴです。 雲原の「雲」の字の一画目を砂防堰堤にアレンジされています。これから出身者の方々の所へもご案内がとどくことと思います。 |